2013年12月1日日曜日

知らない街にひとりぼっち@気仙沼

ホヤぼーやのイヤホンジャック 
南町青空市から連れ帰ってきた気仙沼のご当地ゆるキャラ「ホヤぼーや」のイヤホンジャック


この世で唯一、心中してもいいと思える食材は「エビ」だ。
エビに当たって死ねるのなら本望だと思っているし、エビだらけのプールでなら溺れてもいい。
もしも貝塚ならぬ海老塚があるのなら、行って手を合わせて拝みたいくらいだ。
NO SHRIMP, NO LIFE.
SHRIMP or DIE.
エビとともに生き、エビとともに死ぬ、それもまた人生。
ああ、エビの流れのように、おだやかに、この身を任せていたい。

ただ、浮気をするなら「カキ」がいい。
カキを妾に囲いたい。
エビに内緒でカキの握手会に参加したい。
エビに内緒でカキの投票券付きCDを500枚買ってプチパトロンを気取りたい。
「カキ、上海に完全移籍!」の報に涙したい。
「カキ、地球ゴージャスに出演決定!」の報に拍手を送りたい(エビの目があるので観には行かない)。
カキか罰か。
カキ、燦々(さんさん)と。
カキはかわいい、かわいいものですね(美空ひばり「牡蠣燦々」より)

それぐらい、私はエビを、カキを、愛してやまない。のだ。

エビとカキの話はさておき。

あの日、ひとりぼっちで黄昏ようと、知らない街・気仙沼で旅情にひたっているときに、ばったり友だち(気仙沼出身、東京在住)に会ってしまった。



気仙沼漁港
漁船が並ぶ気仙沼漁港


直接会うことはめっきり少なくなったが、TwitterなどのSNSでなんとなしに生存を確認し、時には真面目に森羅万象について議論し、時にはDMで喧嘩したりする、腐れ縁のような友だちだ。
つい先日も平泉と気仙沼の観光情報をFacebookのメッセンジャーで交換したばかりで、会って話すのはたった数ヶ月ぶりだけれど、なんだかやたらと懐かしくもあり、恥ずかしくもあった。

知らない港町を歩く私の頭のなかでは、永六輔作詞、中村八大作曲というゴールデンコンビ(他に「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「こんにちは赤ちゃん」など)の超々々々々々々々名曲、「遠くに行きたい」とともに、

「知らない街にひとりぼっち♪ふーーーうーうーうーうー♪」

というサニーデイ・サービスのあの曲が交互に流れ、気仙沼旅情はおおいに盛り上がっていた。

サニーデイ・サービス

Sukiyaki - EP - 坂本九

遠くへ行きたい - さだまさし 永六輔・中村八大を歌う 上を向いて歩こう/遠くへ行きたい

ところが気仙沼ホルモンを食べようと復興屋台村で入ったお店で、復興イベントで唐桑を訪れていた彼とばったり会ってしまったのだ。

知らない町で旧知の友人とばったり会うのは心細さもあるから、本来ならうれしくてたまらないはずなのだが、それと同じくらい、とても気恥ずかしかった。
なぜなら、さっきまで港のベンチに座り、

「知らない街にひとりぼっち。誰も私が何者かを知らない街。何だがソワソワするけれど、素敵…カモメも微笑みかけてくれている気がする…」

などと幻想を抱きつつ、自分の孤独に酔って黄昏ていたから。
そんな恥ずかしい心の内を、よく知っている人間に覗かれてしまった気がしたからだ。

土合駅にて、孤独を愛してやまない心情を綴る→「もぐらじゃないとやってられないよ 〜土合駅を一人占めした日

そういえば、家に帰ってから iTunes でサニーデイ・サービスの名盤「愛と笑いの夜」の曲名リストを見て愕然とした。
あの曲の名は、

×「知らない街にひとりぼっち」
ではなく、
○「知らない街にふたりぼっち」
だったのだ。

どおりでな。


しかし偶然の再会も束の間、友人が乗るバスの時間の関係で、一緒にいたのはわずか20分足らずだった。
いつもそんな感じで、会って直接話す時はあまり深い話には至らずに終わる。

私の黄昏気分はぶち壊しになったわけだが、お互い可もなく不可もなく生きていることが直接この目で確認できて、何よりの20分間だった。


ホヤぼーやの顔ハメパネル
南町紫市場のホヤぼーやパネル。周囲に誰もいなかったので顔ハメできず。



閑話休題。
今回の気仙沼行きは、以前からの念願だった。

私にはたまたま縁あって、気仙沼や、少し離れるが石巻など、あの辺一帯出身の友人が7、8人ほどいる。
年に一度会うか会わないかの人もいるし、月一くらいのペースで家族ぐるみで遊びに行く人もいる。
それぞれが気仙沼や石巻を離れて、東京や神奈川、埼玉、仙台などの都会や郊外都市で暮らしている。

そんなケセンヌマーの彼らは口々に言っていた。
とにかく一度、今現在の気仙沼や三陸沿岸を見てほしい、と。
そして秋刀魚や鰹やホルモンなどの美味をぜひ味わってほしい、と。

彼ら自身直接の被災者ではないが、震災後に被災した家族や親戚や建物の安否確認のため、亡くなった友人らを弔うために何度か帰郷している。
またそれぞれの形で復興支援の活動もしている。

先の灯りが見えない暗く長いトンネルを歩くように、気が遠くなるほど混沌とした時間を、各々が各々の場所で今まで過ごしてきた。
先に名前が出た「上を向いて歩こう」じゃないが、ちょっとばかし上を向いたところで涙は止まらないし、こぼれ落ちてどうしようもない。上を向いて歩るくのもほとほと疲れた。直接弱音を聞いたわけではないが、そんな時もあったのかもしれない。


気仙沼小学校近くの紫神社
気仙沼小学校近くの紫神社


幸い彼ら自身が被災することはなかったものの、それでも彼らの心の痛みはいかほどかと考えると想像を絶するし、彼らの心情を心の底から理解することは、(放射性物質の汚染などを除けば比較的)安全圏にいる私には不可能だと思う。
だが、気仙沼や三陸海岸が地震と津波、そして原発事故、これらの災害を経た今どうなっているのか、それを見て知り、思いを馳せることは重要だ。
友人として、同じ東日本に住む同年代として、一旦は故郷をあとにして東京へ出た同類として、震災後の同世代を生きる人間として、気仙沼には行く必要があると思った。


 かもめ微笑むマンホール


ただ実際に訪れてみて、今を知るというには少し時間がたちすぎてしまったんじゃないか、そんな気もした。

私が歩いた気仙沼駅から港周辺にはもう瓦礫らしきものは見当たらなかった。
港に面した家並みは相当数が歯抜けになっていて、半壊した住居がそのままになっているところもあった。
家の基礎の部分に鉄筋がもげたような痕跡がたくさんあり、一区画丸ごと更地になった土地もあった。
しかし、それらの風景からは震災直後の映像で見たような、凄惨さはあまり感じられなかった。
それだけの時が流れたということだろう。

仮設の建物と空き地が目立つ町並みは、所々に活気はあるが、全体的には閑散としていた。
おこがましい発言かもしれないが、私の故郷・群馬の中之条町ぐらいの規模の都市に思えた。どことなく雰囲気も少し似ているのだ。
(中之条は中之条で大変素敵な町です→ 中之条ビエンナーレ2013と中之条タイポさんぽ

震災前の気仙沼は一体どんな風景だったのだろうか。
そして、震災直後は。

復興はまだまだ進んでいない。そう感じる部分もあるが、元の街の姿を知らないので、一体どこまで行けば復興した、と地元の人は実感できるのだろうか。
想像だけで空白を埋めるには限界があった。


喫茶マンボでもらった気仙沼カード
喫茶マンボでもらった気仙沼カード


気仙沼に来た当初、本当は「リアス・アーク美術館」に行くつもりだった。
美術館では今年の4月から「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展をスタートさせたらしいのだ。

美術館へ行くため、駅前から出発する2時間に一本程度の巡回バスに乗ったのだが、車内アナウンスで耳にした「復興屋台村」が気になって途中下車してしまった。
そして意図していなかった友人との邂逅と相成り、わー恥ずかし! という結果になってしまった。
当の友人は前日にこの常設展を見たらしく、是非見るべき!と語っていた。

気仙沼の友人たちのメッセージは二つあった。

「気仙沼の今を見てほしい」
「気仙沼の美味を味わってほしい」

気仙沼の今を知るには「東日本大震災の記録と津波の災害史」という展示はうってつけだったのかもしれない。

だが私はもう一つのメッセージ「美味を味わう」方を優先させてしまった。

一関から帰る新幹線の指定席チケットをすでに持っていたため、気仙沼に滞在できる時間はわずか3時間ほどしかなかったので、リアス・アーク美術館へ行くのは諦めざるを得なかった。

次に気仙沼に来たら必ず展示を見たい。
そう思った。


さんまの干物?
さんまの干物?南町紫市場入口にて


結局さんまの刺し身と塩焼きと煮付けは気仙沼ではなく前夜に入った平泉の居酒屋で食べてしまった。
気仙沼に来るまで我慢ができなかったから。
でもたぶんあのさんまは三陸沖で採れたものだ。
きっとそうに違いない。



気仙沼ホルモン丼
一口でトリコになった気仙沼ホルモン丼1000円。食べかけ。

屋台村の中にある気仙沼ホルモンと海鮮焼きの「七輪屋500」というお店では気仙沼ホルモン丼を食べた。
ふた口ほど食べてから、慌てて写真を撮ったので大変見苦しい写真になっていることをお詫びしたい。

ホルモン丼に乗っているのはホルモン(モツ)だけかと思っていたら、ミノやレバーやハツっぽい肉も入っていて、いろいろな食感が楽しめてお得な気分になった。
とはいえ食べている最中にも友だちが話しかけてくるので、あまりじっくり味わえなかったのも事実だ。

あまりよくおぼえていないが、冷や奴は薬味と柚子ポン酢?がいい感じだったし、味噌汁に入っているアオサっぽい海藻も歯ごたえがよくおいしかった。

復興屋台村のお土産屋さんで売っているオイスターソースはホントおすすめだから!と友人に教えてもらったにもかかわらず、お店の人とおしゃべりしているうちになんだか舞い上がってしまい、すっかり買うのを忘れてしまった。
気仙沼のオイスターソースは取り寄せ可能なのだろうか?


紫市場の軒並み
紫市場の軒並み


ほかの気仙沼出身の友人にすすめてもらった「喫茶マンボ」を訪ねて南町紫市場まで歩いた。
七輪屋500の方からも
「マンボはイチゴのババロアがすごくおいしいですよ。 いちごも地元の○○(失念)で採れたイチゴしか使わないんです。サンドイッチのパンにもすごくこだわっているので是非」
と教えてもらった。

気仙沼ホルモン丼ですっかりお腹いっぱいになってしまったので、マンボでは名物の気仙沼ラーメンを頼むこともなく、甘味を頼むつもりだった。
だがメニューを見ると、おすすめのババロアの文字はなかった。

恐る恐るご主人とママさんに聞いてみると、シーズンじゃないとのこと。
よくよく考えればイチゴの旬が今ではないことはわかっていたはずなのだが、旅先で舞い上がっている私に冷静な判断などできなかった。
これもまた旅情の一種だ。

お店のママさんが言うには、
「ババロアが出る2月ごろには本店舗がたぶん開店しているはずなので是非また来てください」
とのことだった。φ(..)メモメモ


気仙沼の秋刀魚


サンマも牡蠣も食べたかった。
しかしホルモン丼とマンボで食べたチョコレートパフェの重量感がつまみ食いを許さなかった。

この日は唐桑町で
「第28回リアス牡蠣まつり唐桑」
が2年ぶりに開催されていた。
翌日テレビで見たニュースによると、売りに出されたカキは2時間ほどで完売し、人出は例年以上の大盛況だったという。

この世で唯一心中してもいいと思える食材はエビだが、浮気するならカキがいい(昔はシイタケが恋人だったが色々あって離別)。
それぐらいに私はカキを愛しているので、牡蠣まつりには是非行きたかった。
ただ、気仙沼の駅から祭りの会場へ向かうにはバスを乗り継いで行かないといけなかった。
土地勘もなく時間もないので、私の本妻・エビの目を忍んだ浮気相手・カキとの逢引は泣く泣く断念せざるを得なかった。
カキよ、また会う日まで。




こちらは南町青空市の中のお店で購入した帆布のペンケースだ。
かわいい魚柄に一目惚れしてしまった。
メガネケースにもなるサイズなので、もう一つあれば買っておきたかったが、あいにく魚柄はこれ一つだった。
帰ってきてから、錨(イカリ)柄のウエストバッグ(ワンショルダーバッグ?)も買っておけばよかったと後悔した。

次の気仙沼の旅は必ず美術館と唐桑のかき小屋、そしてマンボの新店舗、それから石巻の方へも足を伸ばそう。そう決めている。


気仙沼リンク集


みちのく旅シリーズ




く~~〜!



比類なき気仙沼銘菓パルポーの「Gotto」(ゴット)。
チョコ、スポンジケーキ、パイ生地、クッキー生地、スライスナッツがミルフィーユ状に何層にも重なった比類なき高級菓子。
サクふわカリぽりウマあま…うーん、比類ない!…そんな異なる食感がくせになることうけ合い。

これも買うの忘れた!

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