2014年10月2日木曜日

「弔い」というわけではないけれど

個人によってさまざまな意見はあると思うが、最大公約数的に山がもっとも輝くのは紅葉の季節。
つまり今だ。

しかし誰かが影で言う。
「あんなことが起こってしまった今、山へ行くなんてどうかしている」と。

登山愛好家の中には山行を自粛する人もいるという。
だが正直私は「自粛」という概念がよくわからない。
誰か一人が自粛したとして、死者の痛みや遺された者の苦しみが癒やされるのだろうか。
それこそ自己満足ではないか、と。



御嶽山で亡くなったのは、ただの遊びで木曽御嶽なんてマニアックな山(百名山だけれども)へ登ったわけではない。
山にのめり込んでいた、言ってみれば私にとっての「同志」だ。
その同志の死について、好き勝手にとやかく言っているのはだいたいにおいて外野の人間だ。 
登山のとの字も知らないような人間が適当な思いつきを言っているにすぎない。

彼らの霊を弔いに、山へ行く。
弔ったって死んだ人が戻って来るわけじゃないけれど、そんな慰霊の方法があってもいいと思う。
誰かに文句を言われる筋合いはない。

ということで今週末は前から決めていた通り、ある山へ行く。

山行のルートメモ


当初は意味なんかない、ただの山登りのつもりだったけれど、きっと登山道ではいろんなことを思い出したり考えたりするのだろう。
ときには死者について思いにふける登山もいいものだと思う。
秋のしめにはぴったりだ。

ごちゃごちゃ言っていないで山へ行こう。
山が最高に美しく輝くこの季節が終わってしまう前に。

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