2015年2月1日日曜日

後藤健二さん

後藤健二さんの生存は、自分にとって希望の光だった。
今はもう漆黒の闇の中にいる。

もしも万が一、町がお葬式のような空気に包まれていたなら、私の足元ぐらいは明るくなったかもしれない。
でも町はいつも通りだった。
当たり前だ。
これが日常なのだ。
そして私はまたさらに深い闇に包まれた。

(後藤さんに一種過剰な思い入れがある理由については前の記事で書いたので今回はふれません)

今朝、ISILの犯行声明映像を再生した。
とても嫌だったけど仕方がない。
世の中、自分の目で見てもないことをあーだこーだ言う人間が多すぎる。
自分の目で確かめてみないことにはしようがないんだ。
そう言い聞かせて再生をした。

見た結果、合成かどうかの判断はつかなかった。
合成であってほしいと願った。
でも合成なんて込み入ったことをISILがやる可能性は極めて低いだろう。

ここ数日のぬかよろこびは何だったのだろう。
ただ、ヨルダンにはヨルダンの事情があった。
ヨルダンを責めるべきではない。
それはわかっている。
でもつらい。

私はいわゆる八百万の多神教信者で、主に山の神様や、旅人を守る道の神様「道祖神」を信奉する者だ。
だからゴッド的な全てをつかさどる大いなる神の存在も、死後の世界も、天国も地獄も信じていない。
けれども今はクリスチャンである後藤さんと、何の信者かは不明だが湯川さんが、安らかで争いのない世界にいてくれたらいいと願っている。

それからこの出来事が「テロとの戦い」の口実に使われることに強い憤りを感じる。
それが嫌だから後藤さんはわざわざ
「これは私の自己責任です。シリアの人々には何の責任もありません」
と発言したのではないのか。
テロリストを挑発している者は、一体この発言をどう解釈したのか、はなはだ疑問だ。

それと一つ。
此の期に及んで「自己責任」と言っている方々に、友人が吐き捨てるように書いていた言葉を贈る。


一生「自己責任」という言葉を胸に抱えて、孤独に生きていけ。

今の私は孤独の只中にいる。
こうして毒でも吐かないとやりきれない。


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