2014年3月12日水曜日

私を癒やす破滅の物語「百年の孤独」

暗くて救いがなくてどうしようもないクズしか出てこない犯罪小説。
何をどうあがいても重苦しい運命から逃れられない物語。
目をそらしたくなるヘビーな出来事が次々と襲ってくるノンフィクション。
重いテーマを扱ったルポルタージュ。

そんな暗い話ばかりを読み漁りたい衝動に駆られることがある。
日々の生活や人生が行き詰まりを見せ、先を照らす光がまるで見えない、とくにそういうときに衝動が訪れる。

暗い物語に触れると、かすかに生きている実感がわいてきて、日々の何かが報われたような気持ちになる。
一瞬の気休めかもしれないが、それでもいい。
エロス(生への欲動)を実感するためにタナトス(死への欲動)へと一旦向かう。
生き続けるうえで、どうしてもそういう儀式が必要な時がある。

クズのような人物が無価値と判断した者を虫けらのごとく蹂躙し、ときには殺す。
あるいはもがいてももがいても破滅の運命からは逃れられない。
そんな物語やお話に比べれば私の生きている現実はなんて素晴らしい世界なのだろう。生きている。ただそれだけで奇跡。ただそれだけで有り難い。ただそれだけで価値がある。
そうやって生きることの素晴らしさを実感させてくれるノワール小説や破滅の物語やダークなノンフィクションが私は大好きだ。




昨日やっと「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」を読み終え、そのまま続編にあたる「福島第一原発観光地化計画」を読み始めたのだが、本作には感銘を受けたボリュームが大きく、感想をまとめるのに時間がかかりそうなので、ちょっと一呼吸をおいてから感想を書きたい。

「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」と「蒼い炎」
「蒼い炎」の方はお楽しみにとっておいてある。……お楽しみって何だよ。

そんなこんなで「私を癒やしてくれた暗い一冊」と題して、それらの作品をしばらく振り返ってみたい。
一回目は幻想的なラテンアメリカ文学の世界を広く世に知らしめた世紀の傑作、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」について。

ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」



マコンドという蜃気楼の村を舞台に、ある一族の繁栄から破滅にいたる運命の百年間を描いたマジック・リアリズム文学の最高峰。
奇跡のように美しい瞬間がときどきあらわれては、呪いがかかったようにたちどころに消えてなくなる。 そんな幻のような都市の百年間。
読んでいるうちにいつしかガルシア=マルケスの故郷コロンビアに旅に出たくなる。
本筋と全く関係ないが一番よく覚えているのは、作者ガルシア=マルケスを思わせる人物たちがゴキブリの退治方法を語る場面だ。
いわく、ゴキブリは光を嫌う。台所に影を作るな。そうすればゴキブリはいなくなる。とか何とか(←読み返していないのでかなり適当です)。
日本ではどちらかと言うと麦焼酎のブランド名としての「百年の孤独」の方がなじみ深いかもしれない。
だがこの文学史上最も重要な名作を知らずに麦焼酎だけを飲んでいるのはあまりにももったいない。
とはいえ私は酒が飲めないので、これからも麦の方の「百年の孤独」は飲まずに生きていこうと思う。




ずっと暗黒世界にひたっていると、精神的圧迫感もそれなりにきついしそこから抜け出すのに苦労するから、触れる時間はちょっとだけでいい。
あまりのめり込みすぎないように気をつけるべし。

次回は暗いノンフィクション「完璧な犠牲者」を紹介予定です。もしくはジェームス・エルロイか。では。

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