死ぬかと思った。
「ワイルド・サイド、歩けてないなあ」
TwitterのTL上でそんな独り言のようなつぶやきが散見された。
私もワイルド・サイドはあまり、いや全然歩けていない。
強いていえば、あの日歩いた「カニの横ばい」と「たてばり」はなかなかのワイルド・サイドだったように思う。
ルー・リードは71歳で亡くなった。
日本人の平均寿命は2013年現在82歳だそうだ。
偉大なロッカーとしては「早すぎる死」というには違和感がありすぎるが、平均寿命からすると少し短い(ルー・リードは当然ながらアメリカ人ですが、アメリカ人の平均寿命が現状わからないので悪しからず)。
「もう少し長く生きて欲しかった」と思うのは残された者のエゴでしかないが、そう思わざるを得ない。
ルー・リード御大に追悼の言葉を寄せていた彼の盟友たちのもとにも、いつか必ず死がやってくる。
絶対に死ななそうなイギー・ポップや、老いてますます妖しい色気を放ち続けるデヴィッド・ボウイ、そして永遠のライバル、ジョン・ケイル…
人の寿命のはかなさを改めて考えるとともに、あの「たてばり」で足を踏み外して死ぬかと思った瞬間を蘇らせては、生きてるって事自体が奇跡だなあ、と思ったそんな一日だった。
大げさでもなんでもなく、滑落(かつらく)して死ぬかと思った。
「一般向け登山道のはずなのに何故危険な鎖場が!」と思ったが、どうやら途中で中級登山道に紛れ込んでしまったようだった。
妙義山から帰宅したその夜は、恐怖の鎖場を反芻しては手に汗をかき、
「あそこで滑って握力が足らなかったら確実に死んでたな。死ななくてよかったーーー!」
と生きている喜びを何度も何度も噛みしめながら床に就いたほどだった。
「一般向け登山道のはずなのに何故危険な鎖場が!」と思ったが、どうやら途中で中級登山道に紛れ込んでしまったようだった。
妙義山から帰宅したその夜は、恐怖の鎖場を反芻しては手に汗をかき、
「あそこで滑って握力が足らなかったら確実に死んでたな。死ななくてよかったーーー!」
と生きている喜びを何度も何度も噛みしめながら床に就いたほどだった。
翌朝起きたら「ワイルド・サイドを歩け」と仰っていた先生の訃報が飛び込んできた。
Walk On the Wild Side - Transformer
「ワイルド・サイド、歩けてないなあ」
TwitterのTL上でそんな独り言のようなつぶやきが散見された。
私もワイルド・サイドはあまり、いや全然歩けていない。
強いていえば、あの日歩いた「カニの横ばい」と「たてばり」はなかなかのワイルド・サイドだったように思う。
結局その次に待ち構えていた難関「つるべ落とし」にたどり着くことはできなかったが、私なりのワイルド・サイドは歩いたつもりだ。
日本人の平均寿命は2013年現在82歳だそうだ。
偉大なロッカーとしては「早すぎる死」というには違和感がありすぎるが、平均寿命からすると少し短い(ルー・リードは当然ながらアメリカ人ですが、アメリカ人の平均寿命が現状わからないので悪しからず)。
「もう少し長く生きて欲しかった」と思うのは残された者のエゴでしかないが、そう思わざるを得ない。
ルー・リード御大に追悼の言葉を寄せていた彼の盟友たちのもとにも、いつか必ず死がやってくる。
絶対に死ななそうなイギー・ポップや、老いてますます妖しい色気を放ち続けるデヴィッド・ボウイ、そして永遠のライバル、ジョン・ケイル…
彼らにすら死は訪れる。
人の寿命のはかなさを改めて考えるとともに、あの「たてばり」で足を踏み外して死ぬかと思った瞬間を蘇らせては、生きてるって事自体が奇跡だなあ、と思ったそんな一日だった。
昨夜もまた寝しなに名盤Transformer を聴いていたが、この声の主がこの世にいないということがいまだに信じられないし、やるせなさは日に日に増していく一方だ。
余談だがこのアルバムの最後を飾るのは「Goodnight Ladies」という曲なので、寝しなに聴くには最適だ。
Transformer - ルー・リード
さらにこの日の昼すぎには越路吹雪大先生(コーちゃん)との二人三脚でも知られている作詞家・岩谷時子さんの訃報が飛び込んできた。
岩谷時子さんは享年97歳。平均寿命をゆうに十数年分は超えている。
余談だがこのアルバムの最後を飾るのは「Goodnight Ladies」という曲なので、寝しなに聴くには最適だ。
Transformer - ルー・リード
さらにこの日の昼すぎには越路吹雪大先生(コーちゃん)との二人三脚でも知られている作詞家・岩谷時子さんの訃報が飛び込んできた。
岩谷時子さんは享年97歳。平均寿命をゆうに十数年分は超えている。
とはいえ五十代半ばでこの世を去ったコーちゃんの分まで一日でも長生きしていただきたかった方だ。
敬愛する越路吹雪大先生と岩谷時子さんの関係性の素晴らしさ偉大さを語ると長くなりそうなので、話をとっとと本題の妙義山登山に移そう。
郷土かるたの草分け、上毛かるたの「も」の札で、「紅葉に映える妙義山」とうたわれている。
群馬県民にとっては紅葉の代名詞は「妙義山」なのだ。
群馬に帰ってきてからはや三度目の秋を迎えるが、妙義山へは一度も行ったことがなかった。
群馬県民たるもの、妙義の紅葉を見ずに県民を名乗れるものか、いや名乗れない(反語)。
そんなわけでたまたま父と休みが重なった先日の日曜日に妙義山を目指したのだった。
表妙義・裏妙義と合わせて妙義山一帯の奇岩群は日本三大奇勝の一つとされているらしい。
あとの二つは、上毛かるた「耶馬溪しのぐ吾妻峡」でもお馴染みの耶馬溪(やばけい)と寒霞渓(かんかけい)で、妙義山同様どちらも紅葉の名所となっているようだ。
この日は奇勝・石門群を巡る一般登山道「関東ふれあいの道」を通って、大砲岩まで行く予定だった。
中之岳大駐車場近くの登山口。
登山道を少し登るとさらに石門群の案内図が。
「かにのこてしらべ」というまさに小手調べ的な鎖場。巻き道があるが帰りは迷いやすい。
ここが実は運命の分かれ道だったとはこの時知る由もなかった。
一般登山道「関東ふれあいの道」は右の「大砲岩近道」という巻き道の方へ行かないといけない。
第一石門の真下から。
やって来ました「かにのよこばい」(本当はやって来る予定ではなかったが)。
断崖絶壁だがスタンスがちゃんとあるので、まだまだ余裕だった。
妙義山へ来る2週間ほど前に、観光協会のサイトで配布しているPDFの地図をダウンロードしてプリントアウトしておいたのだが、その間に雲取山へ山小屋泊(たどりついたらいつも雨ふり@雲取山)などしているうちに紙を紛失してしまい、出掛けに地図がないことに気づいた。
なんとなく記憶の片隅に残っている登山地図を元にここまでやって来たのだったが、私の頭の中にある地図にこんな危険な箇所はなかった。
事前に妙義山登攀した方の山レコなどを見たが、
「非常に危険な鎖場の連続なので、腕力だけで体を支え続ける自信のない人は決して山頂を目指さないように(上級登山道は使わないように)」
と書かれている記事が多かった。
なるほどね。一般登山道だけで山頂は絶対に目指しません。
そう心に決めていた。
だが、この眼前にある極めて不安な鎖場は……鎖場って上級登山道にしかなかったはずじゃ……
「たてばり」はどこからどう見てもスタンスがなく、腕力だけで登らないといけない箇所だった。
ただ一気に駆け上れば行けないこともない……
躊躇している間に後続の人の影が見えてきた。
手ぶくろをしたらすべる気がしたので素手で登ることにした。
しかし緊張と恐怖で手汗が止まらず、逆によくすべった。
足を何回か踏み外して冷や汗も止まらない。
なんとか第二石門の狭間までたどり着いたが、向こう側を見るとさらに断崖絶壁の「つるべ落とし」が見えた。
そこでは四苦八苦してこちらに登ってくるおじいちゃんと、腰のロープに繋がれたお孫さんらしき子どもの姿が見えた。
後ろからやって来た父(私同様、何度か足を踏み外し悲鳴をあげていた)にそう告げると先に促して、再び後続の人を待たせながら「たてばり」を降りた。
「かにのよこばい」から見えた、うっすら紅葉する絶壁。
「ここがお前の死に場所だ」。
山の神様に耳元でそう囁かれた気がした。
「気絶するほど美しい景色です。こんな所で死ねたら素敵ですね。でもまだ全然死にたくないです…」
心の中で山の神様に土下座した。
私のワイルド・サイドを歩く旅は脳内土下座で終わった。
人間困ったら土下座だ。ドゥゲザーしようぜ(©水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論)。
のちの「道の駅みょうぎ」レストランにて。
以前ダウンロードした地図「妙義山登山まっぷ」を発見した。
たしかに第一石門から第二石門をたどるコースは「中級登山道」を示すオレンジ色になっている。
ああ、やってしまった…
一旦中之嶽神社に戻って中之嶽神社登山口から見晴台までを目指す。
急な階段は途中ガタガタにずれていて少し登りづらい。
石の祠(御神体)と一体になっている中之嶽神社社殿。
敬愛する越路吹雪大先生と岩谷時子さんの関係性の素晴らしさ偉大さを語ると長くなりそうなので、話をとっとと本題の妙義山登山に移そう。
中之岳大駐車場から見上げる金洞山・白雲山(妙義山)
群馬に帰郷して三度目の紅葉の季節がやってきた。
群馬で紅葉の見所といえば、谷川岳や草津白根、赤城山、伊香保・河鹿橋、めがね橋、照葉峡、吾妻峡など色々あるが、群馬県民にとって紅葉の名所といえば「妙義山」をおいて他には無いだろう。
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郷土かるたの草分け、上毛かるたの「も」の札で、「紅葉に映える妙義山」とうたわれている。
群馬県民にとっては紅葉の代名詞は「妙義山」なのだ。
群馬に帰ってきてからはや三度目の秋を迎えるが、妙義山へは一度も行ったことがなかった。
群馬県民たるもの、妙義の紅葉を見ずに県民を名乗れるものか、いや名乗れない(反語)。
そんなわけでたまたま父と休みが重なった先日の日曜日に妙義山を目指したのだった。
落石防止その他の理由で登山禁止の金鶏山
表妙義・裏妙義と合わせて妙義山一帯の奇岩群は日本三大奇勝の一つとされているらしい。
あとの二つは、上毛かるた「耶馬溪しのぐ吾妻峡」でもお馴染みの耶馬溪(やばけい)と寒霞渓(かんかけい)で、妙義山同様どちらも紅葉の名所となっているようだ。
この日は奇勝・石門群を巡る一般登山道「関東ふれあいの道」を通って、大砲岩まで行く予定だった。
中之岳大駐車場近くの登山口。
登山道を少し登るとさらに石門群の案内図が。
「かにのこてしらべ」というまさに小手調べ的な鎖場。巻き道があるが帰りは迷いやすい。
ここが実は運命の分かれ道だったとはこの時知る由もなかった。
一般登山道「関東ふれあいの道」は右の「大砲岩近道」という巻き道の方へ行かないといけない。
左へ行くと「かにのよこばい」「たてばり」「つるべ落とし」などの難所がある中級登山道となる。
「腕におぼえなし」の私と父は、持ち前のうっかりを発揮して中級登山道へと迷い込んだ。
第一石門を見上げる。
木々に覆われて見晴らしはあまり良くないが、いい眺めだった。
第一石門から第二石門方面を見上げる。やはり奇妙な形をしている。
第一石門を見上げる。
木々に覆われて見晴らしはあまり良くないが、いい眺めだった。
奇勝、ここにあり。
第一石門の真下から。
やって来ました「かにのよこばい」(本当はやって来る予定ではなかったが)。
断崖絶壁だがスタンスがちゃんとあるので、まだまだ余裕だった。
妙義山へ来る2週間ほど前に、観光協会のサイトで配布しているPDFの地図をダウンロードしてプリントアウトしておいたのだが、その間に雲取山へ山小屋泊(たどりついたらいつも雨ふり@雲取山)などしているうちに紙を紛失してしまい、出掛けに地図がないことに気づいた。
なんとなく記憶の片隅に残っている登山地図を元にここまでやって来たのだったが、私の頭の中にある地図にこんな危険な箇所はなかった。
事前に妙義山登攀した方の山レコなどを見たが、
「非常に危険な鎖場の連続なので、腕力だけで体を支え続ける自信のない人は決して山頂を目指さないように(上級登山道は使わないように)」
と書かれている記事が多かった。
なるほどね。一般登山道だけで山頂は絶対に目指しません。
そう心に決めていた。
だが、この眼前にある極めて不安な鎖場は……鎖場って上級登山道にしかなかったはずじゃ……
「たてばり」はどこからどう見てもスタンスがなく、腕力だけで登らないといけない箇所だった。
ただ一気に駆け上れば行けないこともない……
躊躇している間に後続の人の影が見えてきた。
手ぶくろをしたらすべる気がしたので素手で登ることにした。
しかし緊張と恐怖で手汗が止まらず、逆によくすべった。
足を何回か踏み外して冷や汗も止まらない。
なんとか第二石門の狭間までたどり着いたが、向こう側を見るとさらに断崖絶壁の「つるべ落とし」が見えた。
そこでは四苦八苦してこちらに登ってくるおじいちゃんと、腰のロープに繋がれたお孫さんらしき子どもの姿が見えた。
「死ぬ!もう無理!」
後ろからやって来た父(私同様、何度か足を踏み外し悲鳴をあげていた)にそう告げると先に促して、再び後続の人を待たせながら「たてばり」を降りた。
「かにのよこばい」から見えた、うっすら紅葉する絶壁。
「ここがお前の死に場所だ」。
山の神様に耳元でそう囁かれた気がした。
「気絶するほど美しい景色です。こんな所で死ねたら素敵ですね。でもまだ全然死にたくないです…」
心の中で山の神様に土下座した。
私のワイルド・サイドを歩く旅は脳内土下座で終わった。
人間困ったら土下座だ。ドゥゲザーしようぜ(©水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論)。
のちの「道の駅みょうぎ」レストランにて。
以前ダウンロードした地図「妙義山登山まっぷ」を発見した。
たしかに第一石門から第二石門をたどるコースは「中級登山道」を示すオレンジ色になっている。
ああ、やってしまった…
急な階段は途中ガタガタにずれていて少し登りづらい。
石の祠(御神体)と一体になっている中之嶽神社社殿。
うむ。厳か。
祠の裏手から登山道となる。
登山道を示す道しるべの先を見ると沢水が流れていた。
見晴台まではたったの25分でたどり着けるが、ここで登山装備をしていない参拝客は沢を渡ることをためらうだろう。
見晴台近くにはなぜかケルンが。
見晴台から「紅葉に(少し)映える妙義山」。
お見事!
ただ、紅葉真っ盛りというには1、2週間ほど来るのが早かったかもしれない。
見晴台から恐ろしい谷間が見えた。
右がおそらく滑落事故多発地帯で妙義山最大の難所「鷹返し」だろうか。
左が相馬岳がある白雲山側?
中之岳大駐車場から妙義山と中之嶽神社方面を望む。
中之嶽神社は近年、野球の神様を祀っているらしく、野球関係のお守りなどを販売している。
少年野球チームなどが御利益にあやかろうとお参りに来るらしい。
今年の甲子園で優勝を果たした前橋育英高校のファースト・工藤選手が実はこの神社の息子さんなのだが、野球の御利益は本物だったらしい。
さらに余談だが、中之嶽神社や地元山岳会やドライブインなどを仕切っている工藤さん一族の親戚の一人とは友人(群馬ではなく東京で友人を介してたまたま知り合った)なので、工藤選手の話は彼女から知ったのだった。
Facebook上で改めて工藤○○○ちゃんには一般登山道での妙義山リベンジを誓った。
大。
続編→紅葉に映えよ!妙義山〜安心安全ハイキング
裏妙義編→冬の裏妙義&峠の力餅
祠の裏手から登山道となる。
登山道を示す道しるべの先を見ると沢水が流れていた。
見晴台まではたったの25分でたどり着けるが、ここで登山装備をしていない参拝客は沢を渡ることをためらうだろう。
見晴台近くにはなぜかケルンが。
見晴台から「紅葉に(少し)映える妙義山」。
お見事!
ただ、紅葉真っ盛りというには1、2週間ほど来るのが早かったかもしれない。
見晴台から恐ろしい谷間が見えた。
右がおそらく滑落事故多発地帯で妙義山最大の難所「鷹返し」だろうか。
左が相馬岳がある白雲山側?
中之岳大駐車場から妙義山と中之嶽神社方面を望む。
中之嶽神社は近年、野球の神様を祀っているらしく、野球関係のお守りなどを販売している。
少年野球チームなどが御利益にあやかろうとお参りに来るらしい。
今年の甲子園で優勝を果たした前橋育英高校のファースト・工藤選手が実はこの神社の息子さんなのだが、野球の御利益は本物だったらしい。
さらに余談だが、中之嶽神社や地元山岳会やドライブインなどを仕切っている工藤さん一族の親戚の一人とは友人(群馬ではなく東京で友人を介してたまたま知り合った)なので、工藤選手の話は彼女から知ったのだった。
Facebook上で改めて工藤○○○ちゃんには一般登山道での妙義山リベンジを誓った。
大。
続編→紅葉に映えよ!妙義山〜安心安全ハイキング
裏妙義編→冬の裏妙義&峠の力餅
ゴルフ場併設のホテル。部屋から妙義山を一望できるとか。
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